↑ 東日本大震災の数日後、まるで励ましてくれるかのように片瀬海岸へ虹が生じました。

 

毎年、3月11日になると誰もがあの瞬間に自身がどこでなにをしていたのかを思い出すのではないでしょうか。

思い出したくないことであるとともに、思い出さなくてはならないことでもあります。

藤沢は震度5弱。

大きな被害こそありませんでしたが、経験したことのない揺れ。

鮮明に覚えています。

 

その時、私は片瀬鵠生園の地下(ヘルパーステーション)で打ち合わせ中。

『地震?』『なんか大きいね』

はじめの揺れではその程度の認識でしたが、徐々に大きな横揺れに。

『な、なに!』『きゃぁー!』様々な声。

片瀬鵠生園は大地震=津波地域であることから、皆で急ぎ1Fへ移動。

1Fでは職員がデイご利用者の安否/安全に努めていましたが、経験のない揺れに誰もが緊張の表情。

 

『上層階へ避難した方が良いか?』

『正面玄関は?』

『EVは停止しています!』

『ТVをつけて!!』

等々、誰もがなにかをしなければと懸命。

 

入居者、デイご利用者を一カ所づつにグループ集合し、設備確認をしながら状況/情報把握に努めました。

 

・・暫くするとТVからは東北地域への大津波警報。

そして、呼吸を忘れるほどの津波映像。

押し流される街並みに誰もが言葉を失いました。

冷静でなければと自身に言い聞かせながらも、口は乾き、思考は纏まらない状況。

 

外では津波警報が鳴り響き、被災地は東北ですが、ТVに映し出される映像を見ていると、片瀬にも大津波が来るのではと焦る心。

 

余震。

計画停電。

原発の爆発。

あの数日は誰も生涯忘れないことだと思います。

 

あの日から7年。

関東地方にもいつか必ず大震災は来る。

東日本の悲しさを教訓に、可能な範囲での災害準備に努めてゆかねばと、黙祷の度に心を新たにします。

 

 

・・関野記念は災害に備えて免震構造。

そして井戸の掘削。

食品備蓄。

有事の際、地域のお1人暮らし/高齢世帯の方々を少しでも受け入れられるよう努めて参ります。